KOHII
焙煎士になるまでの旅路

Meets

焙煎士になるまでの旅路

バリスタなどコーヒー業界の方々やさまざまなジャンルで活躍されているクリエイターの方々は、 普段どのようにコーヒーライフを楽しんでいるのでしょうか。Meetsは、業界をリードする人たち やチャレンジし続ける人たちとコーヒーを飲みながら深掘りしていく企画です。 今回は木下さんのインタビュー記事、その第二弾です。高校を卒業してすぐに地元を離れた木下さんがキノシタショウテンをつくるまでの物語をお届けします。第一弾をまだご覧になられて いない方は、そちらも合わせてご覧ください!

By KOHII Creator Jongmin

見知らぬ土地への旅立

ーーキノシタショウテンをつくる前に、一度、地元から離れたんですね。 尚之さん:高校生の頃、卒業してから地元の岡山に残るのに違和感がありました。色んな国に出向いて多様な文化に触れ、視野を広げたいと考えたんです。当時は"せっかく日本を出るなら、行き先は世界の都、ロンドンだろう”と思い、高校卒業してすぐにロンドンに留学しました。 ーー留学中に受けた衝撃的な体験は何かありますか? 尚之さん:一番の衝撃は、実は自分がまだまだ日本について何も知らないということです。重い荷物を持ち運んでいた近所のおばあさんのお手伝いをすると、仲良くなり色んな話をするようになったんです。政治や経済と日本のことを聞かれても、上手く答えられず、英語を勉強するどころか、先に日本について知らないといけないと思いました。結局、計画してたより早く日本に帰国することにしました。

ーー帰国して、何をされたか教えてください。 尚之さん:しばらくの間は、東京で大学に入るための勉強をしながら、コーヒー屋さんで働きました。でも気がつけば勤め先の店長になっていたんです。当時はコーヒーを飲めなかったのですが、仕事として毎日コーヒーの味を確認する必要があり、中でも"飲めるコーヒーはなぜ飲めるのか?”と考え始めました。そんな中、エチオピアのモカという名称のコーヒーは飲みやすく、焙煎度合いが他に比べて浅いことに気づきました。こうした小さな気づきの積み重ねからコーヒーの勉強を始めました。まだ、スペシャルティコーヒーという言葉も浸透していない頃の話です。 他にもマシンで抽出していたコーヒーを全部ハンドドリップに変えてみたりと、毎日試行錯誤し、挑戦しました。当時の経験は今にも繋がっていると実感します。

尚之さん:店長として、4年程勤めてから次のステップとして、自分でこだわりをもってモノづくりをしたいと思いました。京都はなんとなく職人の街というイメージがあったので、東京から京都に引っ越し、和食屋のマネジャーとして勤めることになります。食材を扱う仕事なので、農家さんと直接繋がることも多く、食材の選定や鮮度管理までの工程を学びました。コーヒーもまたモノではなくて、農作物だったんだと改めて考え直す機会にもなりました。 ーーコーヒーに限らず食に携わる様々な経験は今、どのように活きているか教えてください。 尚之さん:当時の経験はすべて今に活きていて、キノシタショウテンのメインはスペシャルティコーヒーですが、それに負けないくらいの軽食やデザートを提供し、味の相乗効果を起こしたいと考えています。できるだけ地元の農家さんの食材を使用し、生産者が見える形でお客様に届けることを意識しています。

そして、故郷へ帰る

ーー自分のお店をつくろうと決めたきっかけを教えてください。 尚之さん:こだわり抜いたモノづくりをするために自分のお店をつくりたいと、働き始めた頃から考えていました。最初は京都で独立を考えましたが、予算的に難しいという現実に直面しました。スイッチが切れて、迷っている時に親父に地元に戻ってお店をはじめるのはどうかと声をかけてもらい、岡山へ帰ることにしました。

尚之さん:しかし、お店をつくる以前に地元について何も知っていないことに気づいたんです。地元を離れて10年程経ていますし、岡山では社会人経験もないので、まずは郵便局で働くことにしました。毎日、郵便配達をすると地元の方と話す機会も増えて、少しは地元の理解が深まりました。一年半ほど勤めてから、気に入る場所も見つけられたので、お店をつくることになります。それが今の邑久町にあるキノシタショウテンです。 当時は郵便局で働くと同時に、Fuji Royalの1kgの焙煎機でコーヒー豆の焙煎を怠らずやりました。日々の経験を一つ一つ積み重ねて、今に至ります。

キノシタショウテン

山の上のロースタリ

A cup of KOHII with Love (執筆:Jongmin、撮影:平末健人)

コメント

まだコメントがありません。

アプリからコメントしてみてくださいね!