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コーヒーに魅せられ、コーヒーの街へ旅立つ

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コーヒーに魅せられ、コーヒーの街へ旅立つ

バリスタなどコーヒー業界の方々やさまざまなジャンルで活躍されているクリエイターの方々は、 普段どのようにコーヒーライフを楽しんでいるのでしょうか。Meetsは、業界をリードする人たち やチャレンジし続ける人たちとコーヒーを飲みながら深掘りしていく企画です。

本日のゲスト

名倉慶佑 ポッドキャスター・フリーランスバリスタ・NIWATORI COFFEE ヘッドバリスタ 今回のゲストは、ポッドキャスターの名倉慶佑さんです。名倉さんはコーヒー文化を学ぶために2020年からメルボルンに行かれました。メルボルンでは、コロナ禍の中、音声メディアに可能性を感じ、日常を過ごす中で聴こえる音を配信してきました。そのことをきっかけに現在はコーヒー系ポッドキャスト「コーヒーを読む日曜。」を制作されています。帰国後は、高円寺に位置しているNIWATORI COFFEEのヘッドバリスタとして働き、コーヒーかすを肥料として再活用する取り組みをされています。

コーヒーを軸に多方面で活動されている名倉さんが語るコーヒーの魅力を彼のストーリーとともにお届けします。 By KOHII Creator @Jongmin

全てのコーヒーはメルボルンに通ずる?

ーーコーヒー文化に興味を持ったきっかけを教えてください。 名倉さん:きっかけとなった出来事は二つあります。一つ目が沖縄にある食堂黒猫(現在は閉店中)でエスプレッソを飲んだことです。普段、エスプレッソは飲まないのですが、旅行中ということもあり、調子が良かったのでしょうね(笑)そのエスプレッソの味が過去に飲んだことのないくらい、とても複雑でした。当時、缶コーヒーしか飲まなかったコーヒー素人の私でも、直感的に「このコーヒーが美味しいコーヒーだ」ということはわかるくらいでした。

二つ目にMIAMIAのヴォーンさんとの出会いです。食堂黒猫さんのエスプレッソに出会ってから、コーヒーの興味が湧き始め、東京でも色んなコーヒー屋さんに通いました。その頃、東京コーヒーフェスティバルに行く機会がありまして、偶然ですが、ヴォーンさんと知り合うことになります。ヴォーンさんはバリスタをしながら、ライターやモデル、大学教授までされていて、コーヒーを軸にこれだけ多方面で活躍する働き方があるという事実に衝撃を受けましたね。

この二つの出来事をきっかけに、コーヒーの味とコーヒーの仕事の魅力に魅了されてしまいます。そして、どちらのオーナーさんも「メルボルン出身だった」ということに気づきました メルボルンには一体どんな文化があるのだろうか。不思議に思い、頭で考えるよりも自分の眼で確かめてみるしかないと思いました。

ーーそれで、メルボルンに行かれたのですね。メルボルンにいく準備をするにあたって大変だったことはありませんでしたか? 名倉さん:もちろん、たくさん葛藤することがありました。海外に住んだ経験がなかった上に、両親の反対もありました。当時は安定した会社に勤めていたので、周囲の人に止められることが目に見えていました。結局は会社を辞めることを誰にも相談せずに決断しました。後からすごく止められましたけど。(笑)

実際にメルボルンに行って、やはり新しい何かに挑戦したいという衝動を抑えることはできませんでしたね。

雨にも負けず、風にも負けず

ーー メルボルンに行かれて、大変だったことはありませんでしたか? 名倉さん:外国で新生活を始めるわけですから、仕事を探す以前に、大変なことはたくさんあります。英語も流暢ではない中で、家を探して、銀行口座を開設するなどと生活の基盤を整えるだけでもかなり精神と体力を削られます。 生活が落ち着いてから、やっと仕事を探し始めました。数十枚の履歴書を用意して、コーヒー屋さんに行く度に、店員さんに履歴書を渡す日々の連続です。

―― 現地で仕事を探すまでどれくらいの時間がかかりましたか? 名倉さん:早い人だと一週間から二週間で仕事を見つけるようですが、私は一カ月以上時間がかかりました。2019年の12月に渡航したのですが、災難が重なった大変な時期でした。 日本ではあまり知られていませんが、ブッシュファイヤーという数年に一度起きる山火事がありました。その影響で数日間、大気汚染が続き、オーストラリア政府からもなるべく外出を控えるようにという指令が下るくらい人々が大きな被害を受けました。もうコーヒー屋さんで履歴書を配るどころではありませんでしたね。

――名倉さんが渡航された時期はコロナウィルスの影響も大きかったのではないでしょうか? 名倉さん:時期的にしっかり被っています。ブッシュファイヤーが落ち着いて、コロナウィルスが流行する一カ月の間で運よく働き先は見つかりましたが、もしも流行後でしたら、採用されることは難しかったと思います。

―― 中々、試練の多かったメルボルンでのスタートでしたね。 名倉さん:本当に。生きていく上で、自分の力でコントロールできることより、できないことの方が多いと気づかされた数カ月でした。しかし、大変な時期にも関わらず仲間に迎え入れてくれたコーヒー屋さんがあり、マスク越しではあってもコーヒーの仕事ができたことを思うと、人に支えられ生きていることを実感する機会にもなりました。

ーーメルボルン時代に何か印象に残っているエピソードがあれば教えてください。 コロナ禍の中でもカフェはオープンできることに感心しました。政府による外出制限で、美容室やレストランなどがお店を閉めざる終えない中で、唯一カフェは営業ができたんです。オーストラリア・メルボルンがなぜコーヒーの街と言われているか、その理由をコロナ禍の中だからこそ、感じられました。

多くのことを制限され、諦めさせられたこともたくさんありましたが、かえって何に感謝して生きるべきか明らかになったと思います。そこで、自分ができることは何かないか考え、音声配信に挑戦することになります。

名倉慶佑

NIWATORI COFFEE

A cup of KOHII with Love (執筆:Jongmin 撮影:Seiya)

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