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日本でコーヒーが広まったのはなぜ?

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日本でコーヒーが広まったのはなぜ?

私たちの生活に身近な喫茶店やインスタントコーヒー、そして缶コーヒーが日本におけるコーヒー文化を築き上げていたことをご存知でしょうか? 現代ではおいしいコーヒーを100円で楽しむことができますが、昔はかなり高価なものとして取引されていました。今でこそ街の至る所で見かけるコーヒーは、いつどのようにして日本にやってきて、広まっていったのでしょうか。 私たちがコーヒーを気軽に楽しめているのは、過去に日本でコーヒーを広めようと奮闘してきた人たちがいたからです。 コーヒーの歴史を知っているのと知らないのでは、味わい方も違ってくるはずです。どのようにして日本でコーヒーが広まったのかを皆さんにも知っていただき、よりコーヒーを好きになるきっかけになれば嬉しいです。 それでは、日本独特のコーヒー文化を一緒に見ていきましょう。

喫茶店は火付け役だった

コーヒーのはじまりは500年以上前のこと。アラビア地域を中心に飲まれていました。日本に伝わってきたのは、江戸時代の初期から中期にかけてだったと言われています。 当時の日本は鎖国中でしたが、オランダ商人がコーヒーをこっそりと持ち込んだそうです。しかし、当時の日本人はコーヒーを大変拒んだそうで、そう簡単には普及しませんでした。当時の文献にも「なんだこの飲み物は、飲めるわけがない」と書かれている程でした。 そもそも、一部の商人や役人だけしか外国人と接することができず、コミュニケーションすらままならない状態だったと言われています。そのため、オランダ商人は大変苦労したそうです。 結局、コーヒーが本格的に広まり始めたのは明治時代からでした。ここで火付け役となったのが喫茶店でした。 日本は開国したことで、外国人と触れ合う機会が増え、多くの日本人が西洋の文化に憧れ始めました。西洋文化への憧れから、コーヒーを楽しむ人が自然と増えていったそうです。それでも上流階級の人しかコーヒーは楽しめませんでしたが、1888年に日本初の喫茶店「可否茶館」が遂にオープンしました。 しかし、わずか3年ほどで可否茶館は閉店することになります。当時のコーヒーは高価なままだったので、商売には向いていなかったようです。 ところが、徐々に喫茶店が増えていくことになります。それは、喫茶店の多様化によるものでした。オーナーの趣味が強く反映された喫茶店が増え始め、中でも「音楽系喫茶」が人気を博したと言われています。1950年代から60年代にかけて全盛期を迎え、日本独特の喫茶店文化を築いていきました。 そのおかげで、庶民の手にもコーヒーが届くようになっていきました。 可否茶館は、喫茶店文化の土台を作り、日本のコーヒー文化の発展に大きく貢献しました。その功績が讃えられ、開業日である4月13日は「喫茶店の日」として登録されています。

インスタントコーヒーは救世主だった

その後、コーヒーがさらに広まりはじめたのは、明治の末「カフェ・パウリスタ」という店が東京にオープンした頃でした。当時の高級西洋料理店はコーヒーを15銭で提供していたにも関わらず、カフェ・パウリスタではコーヒーを5銭で提供していたと言われています。そのおかげで一気にコーヒーが全国に広まることになりました。 順調かと思いきや、ここで戦争がはじまり、コーヒーの輸入量が激減することになります。 この時期のアメリカでは、「我々が世界の正義と経済発展を背負っている」という国民の意識により、社会が急速に変貌を遂げていました。この変化をコーヒー業界は見逃さず、コーヒーを「国民的飲物」として印象付けるという宣伝活動を行った背景もあります。 日本では、代用品の麦や大豆を煎ったものが登場しますが、コーヒーとはほど遠く普及には至りません。 戦争は収まることなく遂にコーヒーの輸入がゼロになり、コーヒーは日本軍でしか飲めない幻の飲み物になってしまいます。 戦後にはコーヒーの輸入も再開しましたが、経済の混乱で、庶民のもとまでコーヒーが戻るには随分と時間が掛かってしまいました。 ここで救世主となったのがインスタントコーヒーでした。諸説ありますが、1901年にアメリカに住む日本人がニューヨーク州で開かれた「パンアメリカン博覧会」で世界初のインスタントコーヒーを発表したと言われています。諸説あるのは、実験成功か、それとも特許取得か、はたまた製品化成功かなど、どのタイミングを「発明」と定義づけるのかで様々な説が生まれているからのようです。今回は、日本人の加藤サトリ氏が世界で初めてインスタントコーヒーを安定して製法できる方法を発案した、このタイミングを発明と定義づけました。 この製法の後押しもあり、インスタントコーヒーはどこでも販売可能となります。ここからまたコーヒーが市場に戻ってくることになります。 1960年頃には、コーヒーの生豆の輸入もようやく自由になり、様々なメーカーからコーヒーが販売されるようになります。同時期にインスタントコーヒーの輸入も自由となり、再び庶民もコーヒーを楽しめるようになりました。 当時のコーヒーは瓶に詰められて販売されていましたが、飲み終わったらその瓶を返却しなくてはならなかったそうです。サステナブルではありますが、かなり不便ですよね。 しかし、ある日本人の実体験によりこの不便を解消するアイディアが生まれることになります。

缶コーヒーの誕生秘話

ある日本人というのはUCC上島珈琲の創設者の上島忠夫氏です。彼は、全国を列車で飛び回る多忙な生活を送っていました。ある日、駅の売店で瓶に詰められたコーヒーを購入したものの発車時刻になり、たった一口だけしか飲めず、そのまま瓶を返却し、やむを得ず列車に向かいました。 「物を大切にしなさい」という教えのもとで育ってきた上島氏は、あまりの勿体なさに哀しみさえ覚えたそうです。 ここで歴史を変えることになるアイディアが生まれます。「瓶ではなく缶に詰めれば、常温でどこにでも持ち運べるはずだ」今でこそ当たり前で単純なアイディアのように聞こえますが、この発想が世界のコーヒー文化を大きく変えることになりました。 数々の苦労もあり、1969年に世界ではじめて缶コーヒーが誕生します。しかし、缶コーヒーは直ぐに「邪道」だと言われてしまいます。コーヒーは自宅やお店で淹れてから飲むものと思われていたため、缶コーヒーは全くと言っていいほど受け入れられなかったのです。 上島氏は、どのようにしたら缶コーヒーを受け入れてもらえるのかを四六時中考えました。すると1年後、またとないチャンスが到来します。世界からも注目される大阪万博が開催されたのです。そこで販売したところ、爆発的に売れるようになったそうです。その3年後には自動販売機も導入され、コーヒーはますます市民権を獲得していきました。

歴史とコーヒーに浸る

日本は世界に比べるとコーヒーが普及するのにだいぶ時間がかかりましたが、今では世界でトップ3の消費大国となっています。 日本でこれだけコーヒーが普及したのは、インスタントコーヒーや缶コーヒーの利便性が私たちの生活様式とフィットしていたからではないでしょうか。 しかし、コーヒーの役割や楽しみ方は時代と共に変わりつつあります。 昔は「仕事のためのコーヒー」だったかもしれませんが、今は「生活のためのコーヒー」になっているように思います。 私はコーヒーをこれだけ身近にしてくれた人たちに感謝の気持ちで一杯です。 この気持ちを秘めながら都内にある喫茶店、J-COOKに行ってきました。30年以上ご夫婦で営まれているお店です。店内の穏やかな雰囲気と時間が止まったかのようなレトロな内装が私たちの心を落ち着かせてくれます。 コーヒーの歴史を肌で感じるとなんだか昔の人になったような気がします。私は喫茶店でしか味わえないあの独特の雰囲気を少しでも多く残していきたいと思いました。 皆さんもぜひ、喫茶店に足を運んでコーヒーの歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。 A cup of KOHII with Love (執筆:Seiya)